私と障害福祉との出会いを語る 2022.10.04 更新

今から38年前、福井での厳しい就活を何とか乗り越えた私は流通の世界に身を置き目標とする先輩・上司に恵まれ、その後ろ姿を追いかけながら無我夢中で働いていました。
12年の月日が流れ、フロアの責任者として業務をおこなっていたある日のこと、一人の男性が来店されました(以下Aさん)。Aさんは何かを探している様子でキョロキョロしていました。しばらく様子をみていると、もの言いたげにこちらを見るのですが、買物をすることなくその場所から消えてしまうのでした。(通常であれば、声をかけられその場で対応となるのですが…)
同様なことが数日続いたとき、Aさんが私を見つけまっすぐ近づいてくると、声にならない、空気が抜けたような「カッ・カッ・カッ!」という音が響き渡ったのです。私は今まで経験したことのない人に遭遇したことで頭が真っ白になり、不安と「この人何者か!?」という恐怖心からAさんを置き去りにしてその場から立ち去ってしまいました。
その後もしばらくドキドキが収まらず、バックヤードでひたすら深呼吸をして自分を落ち着かせようとしたことを今でも覚えています。
その後、Aさんは聴覚に障害があり、しゃべることができない「ろうあ」の方であることがわかりました。
このAさんとの衝撃的な出会いが次のきっかけを呼ぶことになりました。 それは、私の地元の公民館が主催する、10回シリーズの手話教室の案内でした。私は迷わず申し込み、手話教室に参加しました。
基本的な会話を学び、Aさんと手話で意思疎通ができるようになることが、とても楽しく・喜びになっていきました。 ですので、私の意識の中では、Aさんは聴覚障害者ではありましたが、何らかの配慮や気遣いをしなければならないということはさほど考えなかったと思います。
私が異動により店舗が変わることを知らせた際、涙を浮かべて「さみしい・残念だね」と手話を通してしみじみと伝えてくれた時、お互いの関係性が出来上がっていたことを強く感じました。
Aさんとの衝撃的な出会いをきっかけに手話と出会い、手話サークルの代表をしながら子供たちと介護や障害者施設を訪問し交流を深めていきました。そんな中で『障害福祉』という世界に対する関心、知りたい、学びたいという気持ちが大きくなり、流通の世界から、知り合いもつてもない未知の障害福祉に飛び込んだのが37歳の時でした。
現在withコロナの真っ只中、生活様式はもちろん行動や人との関わり方にも目に見えないハードルが立ちはだかり、人との関係性において必要以上の気遣いや距離感を思うのは私だけではないと思います。このような中で、ふと私が福祉と出会ったころのことを思い返すことがあり、「私と障害福祉との出会いを語る」というタイトルで記事を書くことになった次第です。
人にはそれぞれの出会いや生き方があるように、私にもターニングポイントになる、あるご住職から言われた言葉があります。それは、「50代~60代になるといろいろな別れがどうしてもあります。ですから出会った人は大切にしてくださいね!」というものでした。この言葉を言われたのは32歳の時でしたのであまりピンときませんでしたが、自分がその年齢になるにつれご住職の言われた言葉が実感でき、前向きに考え、行動できるように努めるようになりました。
福授園も法人設立から40年が経過し、現在6市町村より212名の方々に各事業所を利用いただいております。これからも、『利用者の方一人一人の「願い」や「希望」に寄り添いながら、その思いに応え「喜び」を共有できる事業所を目指そう!』という共通目標が達成できるように努めて参ります。どうぞ宜しくお願いいたします。