私たちこと

木工作業
おもちゃの下地

HIDAMARI工房は、福井県鯖江市にある障がい者福祉サービス事業所「社会福祉法人福授園」鳥羽事業所にあります。主に乳幼児向けの木のおもちゃをつくっていて、本当に少しずつですが、福井県内では木のおもちゃのブランド「HIDAMARI」として認知され始めてきました。

作り手は、利用者の方と支援員。それぞれ得意な作業を担当し、日々製作に取り組んでいます。

HIDAMARI工房のはじまり

HIDAMARIの看板

福授園は昭和58年に身体障がい者の方の働く場として開設されました。そういった経緯もあり、福授園は「働く」が中心の施設でした。そんな中でHIDAMARIは事業所に来れない、作業場に入れない、又は作業が出来ない…そんな利用者の方のためにつくられました。

工賃を倍にする、一般就労を目指す…障がい者だって稼げる、働ける、それは本当に素晴らしいことなのですが、納期に追われる作業や就労に向けての訓練にどうしてもついていけず、心に大きなストレスを抱えてしまう人たちがいます。それを上手く言葉で表現できない彼らは、何も言えないままストレスをため込んでいきます。やがてそれは「問題行動」として表面化するのです。暴言になったり、時にはモノにあたったり、フリーズしたり、そして家から出れなくなったり…。

レクリエーション

そんな「問題行動」を本人の資質のせいにして、はじき出していいのか…。いろいろな迷いがありましたが、平成24年7月にHIDAMARIをスタートさせました。作業を無理強いせず、メンバーでの外出やスポーツ、創作などの活動を取り入れ、スケジュールは皆で話し合って決めました。そうすると彼らは笑顔や元気を日に日に取り戻し、気力のある時は作業もできるようになりました。

遠回りはしましたが、日頃「仲間と遊ぶ」ことの経験の少ない彼ら。活動の中で、コミュニケーション力や思いやりの心などを身につけることで強くなっていったのです。

ちいさなものづくり、運命の出会いへ

居場所はできた、けれどやっぱりお金が欲しい…工賃が欲しい人はHIDAMARIに入れないのか…だけど納期があったら元の木阿弥…それじゃあ自主製品しかない。

創作活動の中でいろいろ試して、縁あって木工屋さんから端材を提供していただいたり、材木を提供して下さる団体の方とお仕事をすることになったりと、徐々に点が線になり、たどりついたのが木工製品です。

木を切り抜いて、磨いて、色を塗って、貼りつけて、袋に詰めて…とそれぞれ無理にならない得意な部分を担当してもらいました。イラストの得意な方にはデザインもしてもらいました。

彼らは決して「仕事をしたくない」わけではなく、得意なことを見つけ、環境さえ整えれば、ストレスをためることなく「仕事ができる」のです。後はそれをどう収入につなげるのか…。

マグネット

最初はメンバーのお父さんから寄付していただいた小さな電のこを使ってホームセンターで購入した薄い合板を切り抜き、アクリル絵の具で色を塗って、いただいた端材に貼りつけ、マグネットやストラップを作っていました。

転機になったのは、ショッピングセンターで行われた福祉フェアに出店したこと。そこでの売上で念願の少し大きめの卓上電のこを買うことができました。

ところが頂いた端材が底をつき、材料を購入することになりましたが、実はこの端材、かなりの高級木材だったことが判明。とても手が出る金額ではなく、困り果てていた時にHIDAMARIの活動を手伝ってくれていた元職員から森のエコ活動をされている日野岡さんを紹介され、河和田産杉やひのきの無垢材をつかった木のおもちゃをつくることになりました。

HIDAMARIの木のおもちゃの材料は今も全て日野岡さんから仕入れています。まさに運命の出会いでした。

日野岡さん

HIDAMARIから、HIDAMARI工房へ

木工作業
木工作業

そして利用者の森松さん(発達障がい)がHIDAMARIメンバーになり、電のこでの切断作業を一手に引き受けてくれたことで商品の幅が広がりました(彼は今も切断作業を一人で引き受けてくれています)。手塗りの商品も印刷に切り替えました。

3Dプリンター

そうこうしているうちに鯖江の道の駅でのみ販売だった商品が、福井駅前西口再開発ビル「ハピリン」2階の工芸品売り場Kirariさまに置いて頂けることに。当時株式会社大津屋マーケティング部仕入れ担当だったMさんが強く推して下さったおかげです。

ハピリンのグランドオープン時には沢山のお客様が詰めかけ、HIDAMARIの商品も売れに売れて、在庫を切らさないために夜中まで作業をしたことを覚えています。大津屋のMさんには販売のノウハウを教えていただきました。この出会いも本当に大きかったです。そしてこれを足掛かりに新規の販売先を開拓していきました。

kirari店内

木のおもちゃに関してもいろいろな方からのアドバイスをいただくことで、最初のころよりは随分クオリティーが上がったのではないかと思っています。ここ最近大きな売り上げの柱になっている恐竜商品の数々も恐竜イラストレーター山本匠先生との出会いから始まりました。たくさんの良いご縁に恵まれ、私たちは本当に運がよかったと思います。

ここまでくると、HIDAMARIの活動との両立が難しくなり、居場所としてのHIDAMARIと働く場のHIDAMARIの二手に分かれざるを得ませんでした。HIDAMARIのひとつがHIDAMARI工房となり、現在に至っています。

製品
作業

地元の木とのつながり

HIDAMARIの木のおもちゃは全て地元福井の木が使われています。それは日野岡さんとの出会いから始まりました。

伐採作業
伐採作業

日野岡さんは長年森林組合で杉やひのきの植樹に尽力されてきました。でも時代の流れと共に昔ながらの日本家屋よりも洋式住宅が人気となり、杉やひのきの需要は減っていきました。業界の仕組みも変わり、採算の合わない国産の木は敬遠されるように。日野岡さんは組合を退職後、子供たちに木の魅力を伝えようと活動を始めます。

そんな中、木のおもちゃの材料を探していたHIDAMRIと知り合います。全くの素人軍団の私たちに日野岡さんは木についていろいろなことを教えて下さいました。

河和田で製材所を営む山本惣一さんを通じて木の仕入れも一手に引き受けていただきました。山本さんも木のおもちゃに対する思いが強く、ご自分でも端材でおもちゃを作られています。通常製材所は採算が合わないので柱や垂木といった大口の注文しか受けません。

でも山本さんは捨てる端材もおもちゃづくりに生かせるように、事前に寸法をとり、加工を加えるなどHIDAMARIのために素材を作って下さいました。

加工作業
加工作業
集合写真

質の良い地元の木を使っておもちゃづくりができるのは、お二人のご協力があってこそです。今までもこれからも良きパートナーとして一緒に歩ませていただきたいと思っています。

日野岡さん

僕は20歳から65歳までずっと木を植えてきた。そのせいか木の声が聞こえる気がする。 「自分たちの出番がない」と。だから木の出番を増やしてあげたい。そして子どもたちのおもちゃ遊びを通して世界が平和になってほしい。

私たちの思い、そしてこれから

木工作業
木工作業
商品イメージ

私たちには特別な技術も職人技もありません。とにかく「一生懸命作る」ことしかできませんが、安心安全と地元の木材にこだわり、かわいくて、やわらかくて、いい匂いがして、赤ちゃんもママも思わず笑顔になる木のおもちゃを目指して制作しています、一度手に取っていただけると嬉しいです。

平成28年8月より福授園鳥羽事業所に移転。作業場が広くなり、ずい分仕事がやりやすくなりました。令和2年には陰になり日向になりHIDAMARI工房を支えてくれた福島前理事長が他界。大きな打撃を受けました。

鳥羽事業所外観

多忙な日々が続き、いろいろな出来事が起きて、大変なときもありますが、HIDAMARIができた経緯を忘れず、適度な「ゆるさ」を保ちながら、そして何よりたくさんのご縁とHIDAMARIの商品を手に取っていただいたお客様と福島前理事長への感謝を忘れず、全員でゆっくりと大きな目標に向かっていきたいと思っています。

HIDAMARI工房と木のおもちゃたちを今後ともよろしくお願いいたします。

商品イメージ